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2006.12.24

短編小説:夢幻城の探求

 臥したりし静謐たる褥より這い起きたる余の記憶は曖昧糢糊として不条理なまでに無定形であり、自らの存在が何者かであるかすら明確なものはなに一つとして吾が身内にて定まってはおらぬことだけが吾が身を知る唯一のことなり。
 古古しき石造りの部屋に於いて、大きく口を開いた天蓋より覗きたるは、慄然たる帯状を成す極光の揺らめきであり、また無数に鏤められたる幾星霜もの月日を想起させる星星の瞬きが星座となりては、隠秘学者や魔術を志たる者によって密やかに暗示される神話や夢幻世界に垣間見える生物の存在を仄めかしている。恐怖に歪められたる貌にも酷似した染みの滲み出ている壁に取り付けられた格子越しの窓から見えるのは水平に何処までも見晴るかす黄昏の色であり、またその夕映えを反射させる可塑状の粘菌類を思わせる雪に覆われたる尖塔の連なりであった。
 幾許ほどの眠りを貪ったのであろう。或は無窮の時の流れに身を委ねていたようにも思えるし、或は数瞬ほどの微睡みですらないのかも知れぬ。余の褥の周りには拳ほどの丸丸とした肉を湛えた名も知れぬ鮮やかな斑紋を纏った蜘蛛が、古式ゆかしい部屋の主を気取りでもするかの如く、放射状に夥しい巣を張り巡らせていた。踵を返し見渡すと、ぎちと詰めたる所為で半ば崩壊しかかった書棚が壁の大部分を占領し、或る種の者達にとっては芳しく感じ取れる歳月を経た書籍だけが持つ名状しがたい気配を放っていた。青銅や鉄らしき金属板や鞣した獣皮で装丁の施されたものの他、明らかに獣の皮ではない滑りを帯びた生物の皮革で装われた禍禍しい書も何冊か見受けられたが、余にとって感銘を受けるもの、余自身に言明していると思われるものはなに一つとしてありもせぬ。常人なれば屍体を噛むかの如き煩悶たる狂気に総毛立つ図版やおぞましき仄めかしなど、なんの意味を成そうものか。
 建て付けのものこそ頑丈であると申せば然るであろう涜神めいた浅浮き彫りの施された青銅の扉が緑青を噴かせつつ、余を吸引するなにか耐え難いまでに蠱惑的な印象を与えた。むしろ推し量るに、重重しき扉の向こうから強かに耳朶を打つ、堕落しきった太鼓の打突音と異界から吹き零れるかのような音階の狂乱めいたフルートの音色が要因かも知れぬ。思えば余が生き永らえているのも、この忌忌しい気配に満ち満ちた居城に余以外の者が棲まいしなによりの証拠となろう。余は腰を擡げて重重しく沈黙を秘す扉を満とした力で押しやった。吾が両の掌によって憐れなる骸を晒す頭蓋骨の顎が軋むかの悲鳴を蝶番が放ち、その重苦しき口は開かれん。二人の吹き手と思しきフルート奏者による単調なる細細とした旋律と、穏やかならざる心奥を掻き乱さんとす旋律とがより大きく余の身内を震わせ、扉越しから比べれば遥かに下卑た太鼓の響きが余を導く道標となりて、吾が行く手を誘わんと大気を震わせ轟き渡りしを、満足を持って余は心地好く迎え入れた。
 余自身の記憶が定かではないのと同じく、吾が棲まいし居城の全容を知るすべを余は持ってはおらぬ。なだらかな傾斜を有する廊下は曲がりくねりながらもその終焉を計ることは困難な有様であった。降り注ぐ月光の雫を押し固めたるかの如き御影石で築かれた堅牢な城壁の向こうに横たわりし景観は、何処までも外宇宙のか黯さと夕映えを溶かし込んだ次元を超越した色彩に満ち溢れ、この古古しき居城と天空を刺し貫かんと聳える尖塔の連なりだけが確固たる存在感を示すのみであった。
 白痴を思わせる音色に誘われつつ、余が閲したる部屋は無数にありて枚挙に暇がないと申せようか。幾つかは例えるなら虚無の函である。唯、あるのみ。また或る部屋には棺桶じみた瑠璃の容器が均整に並んでおり、余の出自を知るよすがにならぬものかと中身を暴きたい誘惑に余は耐えねばならなかった。或る部屋には病的にまで神経質な画家の手によると思しき狂気に冒された筆致の細密画や、爛熟し退廃した文化背景が垣間見える慄然たる抽象画などが飾られていた。いずれにせよ、同一の惑星系のものとは明らかに異なる様式のおぞましき絵画ばかりであったが、余の眼からすれば、その中に崇拝され中傷され暗示され象徴され戯画化されているものは差異こそあれど、総じて等しく同じ神話を仄めかしているように窺えるのだ。
 蒐集家たりし嗜好の誉れは様々なりて、或は許容を得るやも知れぬが、次に立ち入った部屋の様相は異常なまでの慄然たるおぞましき気配に満ち満ちていた。或る種の年代記とでも申せようか。人をはじめ、大きな円錐状の体に四本の長い触肢が伸びているもの、樽状の胴体に膜状の翼が生え、五芒星形の海星を想起させる頭部を持つもの、汚穢なるいやらしい笑みを貼り付けたる矮人。触腕と長い鼻、蛸の眼を持ち、鱗と皺に覆われた無定形たる巨体。恐るべき狂猛さを窺わせる外骨格を有する甲虫族。人間を思わせる貌を持つ奇怪な四足獣。象よりも巨魁で馬のような頭部を頂き羽毛の代わりに鱗の生えた鳥。知性の輝きを瞳に湛えた直立爬虫類。直立歩行する菌類を思わせる甲殻生物。これらの如き外宇宙の奈辺にのみ棲息を仄めかされるような、慈悲なき眠りの神の与えしもっとも奔放なる夢の内ですら棲み潜むことの叶わぬ性質の悪い悪夢の住人どもが、類まれなる腕前を持った名工により縞瑪瑙から切り出されグロテスクな彫刻と化していた。或は逆に歪なる初源の混沌が無限なる食欲で喰らい込んでは狂気を孕みて、この場に産み落としたのやも知れぬ。大理石の床には一面に汚穢なる染みが広がっていたが、それが文様であるものか、生存していた折からの彫像から滴たり落ちた血液の仕業なるものか神のみぞ知るや。
 遂には果てぞあるかな。黒大理石の幾何学模様に敷き詰められたる廊下はうねりながらも居城の中心に向かい下降の一途を辿る。曰く、余に懐かしき郷愁じみた感慨を懐かせる部屋もありき。壁一面に様様な形容の容器が並び、酒精や硫黄、乳香、没薬など馴染みのある香りの他、腐食し饐えた臭気、金属が灼熱の炎に熔かされるが如くを湛えている。機具工具があちらこちらに散見し、なんらかの設計図と思しき複雑な角度からなる図面が貼り付けられている。部屋の中心には形容しがたい光沢を放つ金属からなる生物学的な特徴を併せ持つ機械が据置かれていた。如何なる理由かは分からねど、研鑽を積み、開発を成し実験を行うにこれほど相応しい部屋は存在しえぬと余なれば断じることが出来よう。
 余の眼前に広がりしはもはや地上ではあらず、昏い窖だった。鼠や蝙蝠らしき白骨体が所所に散見するのをいとおしく愛でながら、歳月を閲したる数千数万もの石段が無限を想起するがままに深深と伸びゆくのを余は唯、踏みしめてゆくのみ。壁面に燭台が据え付けられていたがいずれのものも蝋燭が燃え尽き或は風化し果てていた。か黯い混沌に満ちたる闇は余が恐るるべき敵ではあらず、親しき友人の如くにあれば、伴いて道をゆかん。凍てつき肌を串刺す冷気すら余にはさしたる感銘を与わず。いまや最高潮を窮めたるフルートと太鼓の音調だけが余の深奥を責め、駆り立てる唯一のものであった。
 最下層に辿りつき、余の寝所の扉に刻まれておりしと同様の涜神めいた浅浮き彫りの施された性質の判然とせぬ扉を潜り抜けた時、余のゆく手に広がりたるは夜空。
 否、深遠たる無窮の如き外宇宙の混沌であった。瓦斯状の星雲が雲霞の如くに群れ戯れる中、超新星爆発がいたるところで起こってはガンマ線を放出し死の箭となって近隣惑星の生命体の魂魄を刈っていく。赤赤と燃え盛る太陽の周りを九の惑星が時の異なる公転運動を為す。箱庭に閉じ込めたる銀河ではない。星星のそれぞれを余の手が伸びるが儘に容易に掴み取ることの叶いしそのものなのだ。彼方に時空を超越したる窮極の混沌に横たわりし、余に郷愁を感じさせたる御姿が、外なる神神の踊り回る環の中に垣間見えた。
 フルートの禍禍しき旋律が、太鼓の下卑たる打突音が、次元の入り混じり、時の狂った部屋の中心から沸き起こる。同じゅうして這い出した無定形なる踊り子が余を取り囲み、余の手を伴いて、据置かれし一本の象牙から削り出されたりし玉座へと誘い、虹色の光沢に波打つローブを余に着せ掛けた。踊り子どもは恭しい仕草で取り出したる鏡を掲げては余に向けかしずいたれば、余は余たるを遂にその各各に見出したり。
 神神よ照覧あれ。余の眷属よ、とくとそのまなこを開き余を見るがいい。
 余は黄金の海、なにものをも映し出し如何なる姿もこの身に宿そう。余は夢の國の守護者たりせば、夢の門を閉じたる銀の鍵を秘匿したりし者をとくと見定めん。未曾有の破壊を望む者あれば、如何様にも世界の終末を招かんとする世紀を先んずる殺戮兵器の製造法を授けたもう。人智を超えし暗黯の知識を欲するものあれば、ささやかな灯火を。
 ひじりなる夜を歌い踊れ。永きに亘る眠りより余が目覚めしからには。余のはらからたるものたちを旧神の牢獄より解き放たん。夢見る儘に待ちいたるはらからよ。星辰のこと如くを揺り動かしその位置を動かしたるからには大いなる歓喜を持って、余と共に高らかと吼え叫ぶのだ。余は強壮なる使者。ユゴスに奇異なる喜びをもたらすもの。月に吼ゆるもの。盲目にして無貌なるもの。這い寄る混沌。
 こころあるものよ。棲み潜みし窮極の混沌を覗きたくば余の名を口にするがいい。
 汝、ナイアルラトホテップと。 
  

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コメント

2つ続けて小説アップですね。
両方とも楽しく読ませてもらいました。
私としてはこちらの「夢幻城の探究」のほうが好みです。
画面をぱっと見ただけでも、何か迫力を感じました。
ラヴクラフトの「アウトサイダー」をクトゥルー神話として再解釈したもののように思えました。
甲斐さんとしてはやはりナイアルラトホテップにこだわりがあるのでしょうか?

ところで、今年も終りですね。
甲斐さんの作品を読んで私も来年は気合を入れて小説を書かねばという気になりました。
なんとかまともな長編小説を書きたいと思っているのですが、なかなか思うようにいきません。
では、よいお年を。

投稿: 小倉蛇 | 2006.12.30 23:50

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