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2006.08.21

短編小説:這い寄る足

 ミシェルがいなくなってしまった。
 台風と張り出した高気圧の所為でなかなか降り止まぬ長雨を鬱陶しく思いながら、三日ばかり窓の外に見える御囃子宮の森を僕は眺めるばかりだった。
 ミシェルというのは御囃子宮をねぐらにしている猫の名前で僕が名づけ親だ。誰かが捨てたのだろうか、茶と白と焦茶の典型的な三毛で、三毛のミ、L型に白く浮き出ている毛並みから白エル。略してミシェル。僕のネーミングセンスなんてこんなもの。一度連れ帰ろうと思ったのだけど、猫アレルギーの家族がいて諦めざるを得なく。それに気ままな猫でじゃれつき甘えてくるものの、確固とした独立心の持ち主で家に居ついてくれるとも思わなかった。典型的な放浪猫である。くるくると形を変える瞳、小まめな毛づくろいのおかげでふわりとしたひなたの匂いを感じさせる背中。少し曲がり気味の尾っぽ。ミシェルと呼ぶとナォーと返事をし僕の膝元に額を擦り付けてくる無邪気な人懐っこさ。猫好きな僕はたちまち彼女(三毛猫は圧倒的にメスが多数派なのだ)の虜となり、ささやかな友情の証として赤い首輪を贈った。そして毎日のように御囃子宮に通ったものだった。
 それが今夜は見かけない。
 長雨に閉じ込められているあいだに夏休みのレポート課題はあらかた終えてしまい、久しぶりに雨上がりの澄んだ夕暮れの下、ミシェルのテリトリーである御囃子宮界隈を散歩がてらぶらぶらと散策する。顔なじみの猫たちがそこの路地、あそこの公園といった風に普段は見かけるのだけど、長く降った雨の所為だろうか、どこかに避難してしまったのか、一匹もなじみの顔を見ることが出来なくて、僕は少々気分を持て余してしまう。
 人酔いするほど御囃子宮は活況の賑わいをみせており、それもそのはず今日は葉月夜市の日。月に一度、瀬戸物市や朝顔市が催される境内で今夜は多種様々な夜店が立つ日なのだった。
 白地に紺で「葉月夜市」と染め抜かれた幟が境内の脇に竿立ち、アセチレンライトの白熱した光が夕闇を明るく照り焦がす。
 射的、水風船釣り、くじ引きに艶やかな浴衣茶店、アニメのヒーローやヒロインの顔を模したお面屋。色とりどりの輪投げ。似顔絵描きの見本が並び、涼しげな音色を奏でる風鈴屋、金魚すくい。男の子たちが輪を作る甲虫屋。僕は一軒一軒を冷やかしながらミシェルがいないかあちこちに視線をやる。
 御囃子宮にいる猫たちは参詣客に可愛がられ随分と人馴れしているので、多少の人込みにも物怖じしやしない。夕暮れのこの時間、境内を悠然とうろついていそうなもの。特に今夜は何といっても食べ物の夜店が豊富に出店している。万年欠食の野良たちが見逃すわけがなかった。なのに気配すら毛ほどに感じられない。
 綿菓子の甘い香り、ポップコーンのバターが溶ける匂い。シシカバブや焼き鳥が香ばしく焦げ、焼きそばの安っぽいソースの香りが漂う。フランクフルト、大判焼きにかき氷、林檎飴、杏子飴、お好み焼きに鮎の塩焼き。どの店も、向かい、隣の店に負けじと威勢のよい陽気な呼び声で客を招いている。どこにもいない。ミシェルどころか他の猫さえも。 
 いつの間にか人の流れから外れていた。とはいえ、どこまでも夜店はあるもので、奥まった敷地に設けられた屋台から食欲の沸く匂いが漂ってくる。ミシェルを探し回っていた間に随分と時間が経っていたようで、猛然と胃が食物を要求し始めた。
 看板には「新鮮獲り立ての蛸焼き」とある。僕が店を窺っていることに気付いた店主は猫背の、どこか慄然たる両生類を思わせる相貌で「今獲り立て出来立て焼き立ての蛸焼きを一つどうだい」と言い、恐らくは笑顔と思しき表情を浮かべた。出来立てはともかく、獲り立ては言い過ぎだろうと僕は思ったが、店主の手元を覗き込んでみれば、なるほど、俎板の上で灰緑色をした触腕がうねうねと蠢いている。生きた蛸の足を見ることなどなかった僕は鉄板から吹き付ける香ばしい匂いに負け、一船注文した。
 これは俺が食うからと取り置きの蛸焼きではなく、店主は目の前で蝕腕を刻み始めた。手馴れた手つきで粉を溶いた素を鉄板に流し込み、天カスやキャベツ、紅生姜と共に大振りに刻んだ蛸を放り込んでゆく。たちまちのうちに、僕の手元には船に盛られた六つの蛸焼きがあった。早速の出来立てを口に押し込む。噛みしだいた感触はカリッとして、すぐにとろりと溶けた。蛸の食感がむちむちとして心地よい歯ごたえを感じさせる。
 こんなに美味い蛸焼きを食べたのは生まれて初めてだった。出来立て獲り立てを名乗るのは伊達じゃないんだなと思い、店主を見やる。薄闇に名状しがたい表情を浮かべていたが、おそらく僕の反応に満足しているのだろう。僕は満腹感の気安さから店主に声を投げかけた。「これはどこで獲れた蛸なんですか」
 生け簀で飼育している、良かったら見るかい。
 店の裏には大きな水槽が置かれていた。容器一杯に蛸がのたうっている。
 否。厳密にそれは蛸ではなかった。そして水槽の中身は蛸状のモノだけではなかった。
 ああ、珍しいかい? 
 これは蛸蟲と言って、マサチューセッツ州のインスマス沖合いの岩礁に棲息する蝕腕類だよ。極めて蛸に近い、いや、蛸よりも美味い。ただ唯一の問題は死んだ途端に急速に腐敗が始まること。それを防ぐのは生きたまま調理することだ。この街はとてもいい。
 僕はもはや何も耳に入らず、嘔吐が止まらなかった。食べた全てを吐き戻す。
 蛸蟲は屍体に寄生するんだ。ほら。
 水槽の中には溢れんばかりに烏や鳩、犬、そして猫の屍体に埋め尽くされていた。その地獄めいた陸地の上を蛸蟲と呼ばれた蝕腕類の灰緑が這いずり回る。糞尿や血液、濡れた墓場の土の如き匂いが鼻腔を容赦なく襲う。見慣れた赤い首輪……。
 僕は意識を失った。




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コメント

感想ありがとう御座います

夜店>
前半の猫の描写と夜店の描写で、小説の雰囲気をミスリードさせるのが甲斐の目的だったので、嬉しいコメントだったです。
「ミシェルがいなくなってしまった。」>
不安感を煽る出だしだったのか……ふむふむ。
そこまで計算ずくでは決してありませんが、書き手として励みになります。
インスマス>
無駄に言及し過ぎじゃないのか、と思わないでもありませんが、こういうお遊びは大好きです。もう神話中毒と言っていいほどで(笑)

小倉さんの小説感想、忘れているわけじゃないのです。また遊びにいかせてもらいますねー。

投稿: 甲斐ミサキ(to小倉蛇さん) | 2006.09.12 21:54

読みました。
夜店のならぶ境内の明るい感じの描写はサスガと思わせるものがありました。
それと、「ミシェルがいなくなってしまった。」という一文で始まる不安感とのコントラストが効果を挙げていると思いました。
さらに、短い作品ながらインスマスという地名が出てくることで一気に奥行きの広がる感じがクトゥルーものならではの楽しさですね。
今後の作品も楽しみにしています。

投稿: 小倉蛇 | 2006.09.10 22:58

……ぬこさん(;つД`)

甲斐は実はぬこさんが大好きなのでプロットを思いついたとき、不謹慎やなぁと分かってはいたのですが、ホラーを書く上での有効な手立てが思いつかず、あんな結末に……。

祭りの色鮮やかさ。嬉しいです。こういうところの描写のこだわりに個性が出てくるのかもしれませんね。ミシェルの描写を詳しく書いたりしていたのも、読者の視点をずらして、最後まで引っ張っていくためのものでした。

「僕」が倒れたあとの結末、
この辺りまできっちり想像していただけたら、この小説は大成功というところなのでしょう。
「僕」も宿主になっちゃってる気がします(;つД`)

ここまで直球ホラーは久しぶりだったですね。堪能していただき感謝の念にたえません

投稿: 甲斐ミサキ(to才源さん) | 2006.08.23 11:31

……orz
ぬこさん……ぬこさん(⊃Д`;)

祭りの色鮮やかな様子の描き方が、甲斐さんらしく素晴らしいなぁと読んでいたら、最後にやられてしまいました。(苦笑)

倒れた後、主人公も水槽の中に入れられてしまうのかしらんとか、ぬこさん食べてなかった分まだマシなのかもしれないと外道なことも考えてしまいましたが……。

いやはや、食後には辛い一品でございました。(誉め言葉
久々に甲斐ワールド堪能させていただきました。
ご馳走様でした<(_ _)>

投稿: 才源 | 2006.08.21 20:00

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