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2005.11.30

短編小説:ダーツを投げる

 
 カップアイスをすくう手が止まったのには理由がある。
 このときのわたしは、あるいはできることなら、聞き間違えだって思いたかったのだ。つかさどる言葉の何もかもを千分の一の狂いもたがわずに。あるいは気づけずに済ませられたのなら多少は救われたのかもしれない。けれどそんな風にうまくいくはずもなく、もはや鼓膜を突き抜けて脳裏に刻みこんでしまった自分が計らずも恨めしい。
 昼休みにオフィスを抜け出しハンズへ買い物に行っていたわたしのあずかり知らぬところで、まるっきり世界は大きくよそおいを変えてしまったみたいだった。狙ったかのように、世界中のありとあらゆる何もかもが結託してわたしに秘密を漏らさぬよう仕組み、突然に今日というこの瞬間を選んで息の根を止めてしまうつもりなのかと疑うほどに。
 なんてばかみたいに救いのない無邪気で無慈悲な残酷さなのだろう。
 かれこれ四年越しになる。はす向かいの席に座る遊瓦とは入社からの短くはない付き合いで年齢も同じ、同期の気安さも手伝って、会社帰りにはよく遊びに出かけたものだった。聞き間違えでなければ、その彼がどこかの誰かと婚約したのだと、頬を紅潮させて同僚たちの輪の中で告げている。ああ。
 言わずもがな。所詮、一方的に自身を充足する願望にしかすぎなかった。遊瓦に彼女がいないだなんて。おたがいプライベートには踏みこみすぎず、仕事を終えて帰る道すがら、一緒になって悪ふざけをする仲で満足していたのは自分自身なのに、急に突きつけられた切っ先は思いのほか鋭利で、わたしの胸を貫き、けして小さくはない穴を残していった。その痛みにいささか戸惑ってしまう。今でも本当に遊瓦のことを「好き」だったのか、自分の気持ちの天秤すら推し量れないくせに。
 青く晴れ渡ったそらに突然起こる雷のように、降って沸いた喪失感。気ままなモラトリウムの王国はまるで水際の砂城楼閣のようにあっけなく崩れてしまった。
 ばかみたい。
 遊瓦から視線をもどし、再びスプーンを差し入れたが聞き耳を立てているうちにアイスクリームはすっかり溶けてしまっていた。かろうじて一片だけすくいあがるヘイゼルナッツ。「柏木、俺結婚すんだぜ」そんなきらきらした瞳をこっちに向けて報告なんかしてほしくないっていうのに。遊瓦にとってはさもあらん。巧妙に隠していたそんなわたしの心情なんぞ察することなく、屈託のかけらも遠慮もない笑顔で容赦なく射貫いてくる。聞こえなかったふりをして残りのアイスを流しに給湯所のシンクへと席を立ち、つかの間目と耳をふさぐことで、はだかんぼうより羞ずかしげのないあまったれな世界からわたしのこころを遮断する。
 あるいは昼休みにオフィスを離れたりしなければこんな事態にはならなかったのかもしれない。わかってはいるのだ、そんなことまるで論理的じゃないお笑い種だとは。
 そもそもハンズへわたしをいざなったものは「ダーツセット」だった。デジタル採点式のソフトダーツ。一目見るなり気に入ってしまい、仕事帰りまで取り置きをお願いしていたものだ。西部劇のバーに出てくるような観音開きのフロントパネルで、両脇のポケットにはダーツが三本ずつ収納できる代物。それは、来たるべき遊瓦への誕生日プレゼントにするとっておきだった。
 ダーツは二人の間でちょっとしたブームになってい、ダーツバーへ通っては勝敗の行方にジントニックやカルーアミルクの一杯を賭けあったりする他愛のない駆け引き、そんな風に投げ合うのは愉快で、最終電車ぎりぎりまで遊んでいたものだった。堅実に、的の内側にさえ入ればと思いながら投げるわたしとは違い、トリプルポイントの二十に放りこむのが一番の高得点だというのに、ポイントを仕切る金具にダーツを撥ね返されながらも遊瓦はどこ吹く風で、的の中心であるブルスアイに狙いを絞っている。ようやっとの何投目かでみごとに命中したとき、遊瓦の「今のちゃんと見てた?」といった悪巧みが成功したときの無邪気で誇らしげな悪戯っ子のように、思わず笑い声をあげてしまうほどあどけない表情でわたしを仰ぎ見たその顔に、気付けば胸が甘く締め付けられていた。そんな彼をびっくりさせたくて購入したのに、異性を意識して遊瓦を誕生日プレゼントで祝ってあげられるのはもうわたしなんかの役目ではないことが心をぎゅうと詰まらせてしまう。
「ばかみたい」シンクに手をついて呟く。今度は声にだしながら。
 あるいは自分の気持ちをこころの奥底に深く沈め、何食わぬ顔で遊瓦にプレゼントすればいいんだ。わかってはいる。律儀な彼のこと、お礼を言っては、今までのように誕生日になればわざとセンスを外した「面白いけど素直に喜べないもの」をプレゼントをしてくれるなんてことくらい。でもあくまで貰えるのは恋人同士の甘い睦みごとなんかじゃなく、望めるのは友情の証に過ぎない。遊瓦の善意むきだしのにこにことした友愛に押しつぶされるのは火を見るより明らかで、それに耐えうる自信も覚悟も、爪先ほどすら持ち合わせてなどいなかった。
 どう終業時刻まで過ごしたのか記憶のあやふやなまま、婚約話を肴に呑みに行こうだなんて悪趣味な誘いを丁重に、けれど決然たる意思表示で断った帰り道、その足をハンズに向け、出てくるころにはダーツセットを抱えていた。そんなことをすればたちまち持て余してしまうなんてこともわかっていたはずなのだ。見た目以上に重く感じるのはまるごと歯痒さの足枷に思えて、その重さがひと足ひと足余計に家路を遠くしてしまう。
 アパートの鍵をあけ郵便受けを確認する。夕刊、新規開店したヘアーサロンの案内、選挙運動のビラチラシ。それに宅急便の不在通知が一枚。そういえばきのう電話で母親がそんなこと話していたっけ。きままな独り暮らしを自分で選んだこととはいえ、そんな娘をてのひらで囲いたがる。なんて深くのしかかる愛情なんだろう。見合い写真なんか何度送られたってざわざわと気持ちがささくれ立つだけなのに、愛すべきはわが両親たちよ。
 窓をあけ、むしむしする部屋の気配を開け放つ。きしきひききとヒグラシの声。この季節らしい、金柑の花のあまい香りとともに昼の名残を濃密に含んだ夜気が室内に流れこんでくる。胸いっぱい吸いこんで、昂ぶった気持ちを沈めようと努力してみる。それでも鉛のように重苦しくわだかまる虚無感は一ミリグラムも減ろうとはしてくれない。ちっともといった知らん顔でわたしの真ん中にどでんと居座っている。いっそ自分のこころにも窓を備え、自由に開閉できたとしたらどれだけ清々することか。
 水温をてのひらで確認しながら注意ぶかくバスタブにすこし熱いめのお湯を張る。触れた指先から疲労感が炭酸水の泡のようにしゅわしゅわ溶けていく。これでも虚無感は消えない。消えやしない。コンタクトレンズを外し洗浄液にひたす。目頭が熱くにじみ、俯いた鼻の奥がツンとする。われながらぼやけた鏡面に映るひどい顔。こつりと洗面所の鏡に額を当てたはずみで嗚咽が零れる。分かっていた。限界なんてとっくにきていたのだ。ぐずぐずと泣きながら、玄関に置いたままのハンズの手提げ袋に目をやる。自分から目を背けても仕方ない。考えなくちゃいけないのは、遊瓦を自身から遠ざけたちっぽけなわたしに巣くう傲岸不遜な不正直さなのだから。ちゅうぶらりんな気持ちをいつまでも放っぽりだしておくわけにいかなかった。
 喉をくくっと引きつらせ、何度も何度もしゃっくり上げながら物々しく武装した包装を解いてゆく。一度堰を切った涙の源泉は枯れることを知らないみたいで、蛇口が壊れたみたいに自分でも呆れるほど次から次へと溢れて出てくる。保証書に説明書、チープな赤と青のダーツが各色三本ずつ。単三電池が一本。そしてテンガロンハットが似合いそうな観音開きに封されたダーツボード。包装を解くたびに新しい水滴がそれらの表面で弾けた。 遊瓦から誕生日に貰った、海にくじらが泳ぐリトグラフを壁掛けから取り外す。遊瓦と過去の自分も一緒くたにして決別の一歩を心に刻みこむのだ。空いたフックにダーツボードを取り付け電源をいれると、ダイオードがにぎやかに点滅を開始した。
 すっかりと赤く腫れぼってしまった目でダーツボードを見据える。
 今晩は完膚なきまでだ。まずはFMのボリュームをあげる。バスタブで泣くだけ泣いたあとジャージーに着替え、よく冷えたスミノフアイスを飲む。漂泊する昼間のわたしをありふれた日常に引き戻してやる儀式。それからわたしはダーツを投げる。百投でも二百投でも気が済むまでダーツを投げ続けてやる。棲み潜む曖昧さを。気持ちを認めなかった強情さを、勝手にこころを隠して勝手に泣いて、そんなあやふやでばかげたわたし自身を射ちぬくために。
 そしてまた明日、なんてことのない笑顔で遊瓦と顔を合わせられるように。

NEWVEL:
 


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コメント

りかこ☆さん、こんばんわー(びっくりしたー)
こちらこそ、某所(笑)でお世話になっていますv

「ダーツを投げる」
いきなり、難易度(敷居)の高い小説読んでくださり感謝しきりです
お話こそフィクションですが、心的背景はほぼ実話なので、健気というか、やけっぱちさが文章に表れてるかな、と個人的にはそんな感じです。
切なく読んでもらえてれば、甲斐としてこんなに嬉しいことはありません。
……「這い寄る足」のイメージを払拭できたかな(笑)
ダーツ>
ストレス解消に中々良いものですよb
甲斐もノーコンなので、的に当たらず、壁に穴が点点と開いてます(駄目やん)
ダーツバー行ってみたいな(想像で書いてた奴)

それでは。
また某所でお話しましょうね、ハイヨル☆コントン~


投稿: 甲斐ミサキ(toりかこ☆さん) | 2006.09.12 22:03

こんにちは、甲斐さん。(^-^)
某所ではいつもお世話さまです。
なかなかこちらへ来られなくてすみません。
今日は勇気を出して足跡を残します。

拝読しました。
この主人公の彼女は健気だなと思いました。
そして不器用だなとも感じました。
気付かなかった、もしくはいつかは伝えられたかもしれない、
近い存在でふざけ合っていた彼への想いを
伝える前に砕けてしまって
思い出のダーツを投げ続ける姿が印象的でした。
切ないです……。(・_・、)
個人的にダーツはやった事はないです。
でもノーコンかもしれませんが、
いつかはやってみたいものの一つでもあります。

それではまたね♪
また某所にて、ハイヨル☆コントンです。

投稿: りかこ☆ | 2006.09.12 15:28

固一さん、はじめまして。
小説読んでくださり、感謝の言葉に尽きます。
「ダーツを投げる」
『気持ちの整理』という流れは、実際にその通りで、主人公である「私」の気持ちの揺れ動き辿っていったお話です。

「後悔・過信・自分自身の不甲斐なさが滲み出て」
一人称という文体は、三人称よりもそれだけ気持ちのフィードバックが読み手により伝わりやすく感情移入しやすい文体だと思っているので、負の感情とはいえそれが伝わったとするなら、小説として少しでも成功したのかなと思います。

「彼女の幸ある姿」
甲斐としても気になるところです(苦笑)

投稿: 甲斐ミサキ(to固一さん) | 2006.01.07 20:51

どうもはじめましてになります、固一です。
甲斐さんの作品はいくつか読みましたが今作は終始『気持ちの整理』と感情の方向性が判り易いだけに非常に読みやすかったです。

恋に破れたっていうより、後悔・過信・自分自身の不甲斐なさが滲み出て私的に好きな作品でしたね。

今度は彼女の幸ある姿がみたいですね。

投稿: 固一 | 2006.01.06 00:36

独りでダーツを投げる>
ダーツを投げるまでのお話なので、投げた次の日の後日談は各自脳裏で補完していただくってことで(苦笑)

四年間の長き>
成功すればともかく、告白した後の気まずさを引きずるよりは、友達のまま永らく付き合っていこうとしたのが主人公の考えです。男女の友情は成立しているというより、弱気であるからこその振る舞いなんでしょうね。

ちなみに余談ですが、この主人公、柏木未由さん。「レイトショー」という短編にも出ています。よろしければ、一読をm(__)m

投稿: 甲斐ミサキ(to才源さん) | 2005.12.04 16:22

ダーツを疲れるまで投げて気が晴れたと思ったら、次の日の彼との何気ない会話で胸が苦しくなって、夜になるとまた独りダーツを投げる。
読後、そんな主人公の姿が思い浮かびました。

しかし、主人公はよくぞ四年間もの長きに渡って、告白しないという選択肢を選び続けられましたねぇ。
まぁ、自分の気持ちに気がついたのが最近なのかもしれないですけど。
そうであったとしても、彼女を自分に置き換えると、到底無理なことだなぁと思ってしまいます。

投稿: 才源 | 2005.12.03 20:40

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