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2004.02.15

短編小説:幕間-或いは風の強い午後

 得てして人の家の台所は使いにくい。久しぶりに実家の台所に立った倫太郎の、これが正直な感想である。
 そもそも俄かに使う人間の心がけがなっちゃいないのだ。昨夜遅くまで台所に灯りがついていたのと、時折夜闇を劈く悲鳴(否、悪魔でも思わず尖った尻尾の先までピンクに染めるような罵り文句が正解)とを倫太郎は知っていたがその集大成、これを『耐震実験のあとです』言われて見せられてもきっと信じるだろう、台所はそんな惨状だった……。
 *
 窓を揺らす風の音で倫太郎が目を覚ましたのは、午後もだいぶ傾いた時間。
 部屋の配置がなんだかいつもと違うと首をかしげ、そういえば実家の客間にいるのに気づき頭をぽりぽりと掻く。お正月以来、大学が春休みに入ったので、大層に帰省するほどの距離ではないにせよ、顔見世と実家に昨日から帰っていたのだ。
 不愉快な目覚ましに苛まれることもないが、かといって全く起こしてもらえないのも時間を損した気分になるから不思議。そんなことを考えつつも部屋にいても仕方が無いので、あくびを共連れに人気のないリビングに向かう。
 誰にも起こしてもらえないはずで、ガレージに車がない。両親は何処かへ出かけたのだろう。折角帰ってもお客様扱いされるのは客間に寝かされることぐらいで、ほったらかしにされるのはいつもの事。いや、ちやほやしてほしいわけじゃない。むしろ逆だ。
 リビングに入ると隣の台所から焦げた匂いが漂ってくる。昨夜ちらりと垣間見た(聞いた)光景と、恐らくこれが結果なのだろう、そう思うとにわかに頭の芯が疼く。
 部屋の隅に置かれたケージの中で無心に甘えた声を出すミニチュアダックス(猫派の倫太郎が家を出たのをこれ幸いに企まれた計画的犯行)を放してやり、自分の顔を気が済むまで舐めさせてやる。と思ったがいつまでも気が済みそうにないので再び、千切れんばかりに振っている尻尾をケージに押し込む。
 嫌な想像はさておき、埒があかないので倫太郎は覚悟を決めて引戸をくぐり台所に踏み込んだ。まるで池田屋へ踏み込む近藤勇局長か、マルサの女の心持ち。
 踏み込んだ最初の一歩目は図らずも、ぬるっと倫太郎をつんのめりさせた。テーブルに手を着き何とか踏みとどまる。見ると靴下の裏には茶色の粘土状がこびりついている。
 それはダックスの粗相ではなく、思ったとおり女の子のお祭りの成れの果て。台所の香りを構成する大部分は焦げ臭い匂いなのだが、申し訳の奥底に甘いチョコレートの香りがする。   
 靴下を履き替え、今度は用心深くスリッパに足を突っ込み倫太郎は再び台所に立った。
 昨晩、妹君が台所にこもって格闘していたのは透明人間なんかではなく、慣れない台所でチョコを製作していたのだった。折りしも今日は聖バレンタインの祭日。昨年までは既製品で済ましていたようなので妹君には何かしら心境の変化でもあったのだろう。
 早速、換気扇を回す。空気中の苦い成分が徐々に薄れてゆく。シンク回りや俎板の下に刻んだチョコレートが落ちているのは兎も角として、部屋中ところかまわず飛び散ってるのは何故だろう。気になるが薮蛇は御免こうむる。倫太郎は余計な詮索はしないことにした。
 材料と思われる柚子のドライチップスを摘み上げる。妹君もなかなか渋い趣味をしていると思わず感心。見渡すと、ガスレンジには湯煎に利用したと思われる水の張った雪平鍋がかかったまま。用心して多めに残った板チョコレート、生クリームのパックや木べら、ミキシングボール、ハート型のアルミホイル容器などが食卓テーブルに散乱している。倫太郎の下宿部屋やバイトしている喫茶店《RAMPO亭》の厨房とはえらい違いである。
 喫茶店のアルバイトは給仕とばかり思われがちだが、《RAMPO亭》に限っていえばその大半が食器洗いだ。狭いカウンター裏で汚れた食器を溜め込んだら自分たちの身動きが取れなくなるだけである。洗い物が出次第片端から始末していく習慣が、台所回りに限定とはいえ倫太郎を片付け魔に昇格させていた。眺めているだけで指先がムズムズしてしまう。この家には後片付けをしてくれる小人さんが住まわっているとでも思っているのだろうか。やれやれ。
 台所を片付けるといっても、今の倫太郎は腰掛の食客と同じだ。いわば実家といえど他人風情の台所を弄くるのもどうかと思ったので、シンプルに夕ご飯を作るのに必要なスペース確保と道具類のみを救出と目標を小さく定める。
 *
 生クリームは倫太郎にとって高級食材の一つだ。喫茶店の厨房では扱っても自身が口にすることはそうない。包丁を持てる分、下宿ではレトルトや冷凍食品に世話になることもないが、書籍や熱帯魚(光熱費が大半)などの趣味にお金を使うことを考えればおのずと食事が質素になる。めざしにご飯ほどではないけれど、生クリームのように始終使わないものは家計簿にその名を連ねることが少なくなるのも事実。
 喫茶店メニューがレパートリーなだけに自炊にはパスタをよく作った(確かにクラブサンドなら或いは、主食にパフェをこさえるのもどうか)。保存の利くホールトマトを使ったトマトスパゲッティや、鷹の爪とニンニクさえあれば出来るペペロンチーノが主な胃袋の中身。
 生クリームパックの中を覗いてみる。底が隠れる程度、スプーンの大匙4杯くらい。冷蔵庫で大事そうにトレイ上で冷やし固められているチョコレートとの量と見合わないところから察すると大半はゴミ箱に消えたらしい。固まりかけた乳脂肪を前にしばし黙考。4杯程のクリームを後で使うとは思えないので、倫太郎は普段したくても出来なかった料理を作ろうと心に決めた。
 カルボナーラ。振りかける黒胡椒が炭の灰に見えることから別名炭焼きスパゲッティ。完成図を思い浮かべながら、料理に必要な他の材料を探す。ガスレンジ横にバージンオイル(油が劣化するじゃないかと倫太郎は眉をひそめた)。卵、パスタ……冷蔵庫の奥に隠しておいたパルメザンチーズはどうやら大掃除されてしまったらしい。どうも自分の部屋の台所にいる気分になると思わぬ落とし穴にはまる。倫太郎は散歩がてら近所の商店街まで足を伸ばすことにした。
 *
 春一番。電線がひゅんひゅんと風を切っている。
 寒さが温んで道行く人もコートやジャンパー等の上着を纏っている人は少ない。強風もまた頬に心地よい。台所の片付け作業でこわばった筋肉をほぐすために倫太郎は大きく伸びをした。
 さて、料理は想像力と度胸一発だ、とはRAMPO亭マスター談だが、倫太郎にとっては分量がすべて。
 長年の経験が腕に染み付いたマスターとは違い、足りない力量をカバーするために倫太郎は事あるたびにメモを取った。そう、倫太郎は片付け魔であると同時に稀代のメモ魔でもある。人数分に対する材料や調味料の分量、火加減を細かく把握していれば出来上がりのブレを抑えられるからで、料理本でよくある『塩少々、胡椒少々』の表現が倫太郎は嫌いだ。だからレシピメモには倫太郎なりの黄金率を記すことにしている。付箋やマーカーで彩られた大学ノートは倫太郎の一財産である。『お婿に行くときには絶対持っていくんでしょう』とカウンター越しに依子にからかわれた事があるが言われるまでもなく、もちろんそのつもりである。我ながら、硬くなったプロセスチーズを卸金で卸せばいいじゃないかとも思ったが、結局のところスーパーにも『パルメザンチーズ大匙2杯』の為だけに来ているようなもの。
 使いきりのベーコンとパルメザンチーズ。粗挽きの黒胡椒。土曜日の午後で少し込み合う、手押しカートの間を縫うように進んでいく。
 レジ前には普段見慣れないビターチョコレートにミルクチョコレートの山。ココアの缶、それにバレンタイン特集号の女性雑誌が平積みされている。今年はバレンタインイブとかで気の早い恋人たちは金曜の晩から。14日の本番、日曜日の後夜祭と過ごす人もいるわけで、当日の午後にこれだけ材料が余っていればお店は困るんじゃないかといらぬ心配をしてみたりする。まずは自分の中の覚気との結縁を解くべきなのに、と思わず苦笑。
 スーパーからの道行きに、バイト先の《RAMPO亭》の方へ足を向けてみようか。
 束の間、倫太郎はそう思った。行けばマスターがホットココアくらいはご馳走してくれるだろうし、旨くいけば誰かに会えるだろう。例えば同じゼミ生の操木依子などは《RAMPO亭》をメインダイニングにしているくらいだから。とはいえ会ってどうする? 実家に帰省しているのに、わざわざバイト先までバレンタインを目当てに行ったと思われるのも癪である。意地でも足は向けられない。またそんなことに気を回している自分も何だか厭だった。倫太郎はその意地が首を絞めている気もしていたが、なに、真綿で絞められる首なら絞められたって構わない。休校日のバレンタインに災いあれ!
 *
 水を張った寸胴鍋を火にかけ、そこに塩を一つまみ。風は止む気配なくますます窓枠を鳴らし、その都度、リビングで吠え声が唱和する。
 湯が沸かしている間に手際よくミキシングボールへ卵黄を2個落とし、生クリームの残りをあけ、封を切ったばかりのパルメザンチーズをスプーンで注意深く量り加え、絶妙のバランスと自己申告の塩、黒胡椒を振りいれる。かき混ぜた見た目はちょっとしたカスタードだ。
 BGMが欲しくなって卓上ラジオのスイッチを捻った。ほどなく、ちりちりとしたノイズの奥から、台湾人と日本人のハーフである女性シンガーの切ないバラードが流れ始める。
 背中で物憂げな歌声を聞きながら雪平鍋にオリーブオイルをひく。実家のフライパンは油と馴染んでなく直ぐに焦げ付くので、パスタを作る際には雪平鍋と倫太郎は決めていた。細く刻んだベーコンを投入し焼き目がつくまで炒める。
パサパサしてしまってカルボナーラは難しい、よくそんなことを耳にするが倫太郎には縁がない。卵と生クリームを火に掛けたフライパンで混ぜ合わせようとするのが失敗の元。
 卵白は固まるとねっとりとした食感を台無しにするのでそもそも倫太郎は加えてないし、ベーコンも別に炒めてクリームと和えたパスタと後で混ぜれば済む。
パスタを湯から揚げにかかろうとしていたら、聞き慣れたエンジン音が響いた。間を置かずして玄関が騒がしくなる。
「倫太郎ご飯作ってるのか? 気ぃ利いてるなぁ」父親の声だ。この親にしてこの子あり。
「お帰り。ちょうど今出来たところ。もちろん自分の分だけ」
 これでは鳶に油揚げを攫われる心境。目の敵とばかり、仕上げには黒胡椒をたっぷり。倫太郎はこれ見よがしに振りかけた。

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コメント

>鵺さん
 「宙」以来ですね。そういえば誘導リンク貼ってきた覚えがあります^^;
>オッサンさんコメント有難うございます。

 後書きで小説を解説するようなことは苦手なのですが、甲斐なりの作品解釈を。お二方同時にコメントを返したほうが分かりやすいと思うので、そういう風に。

>『神の視点』である必要性。オッサンさんは三人称を用いることにより『倫太郎の心性が浮き出てこない』こう指摘されています。そうですね。甲斐は狙って「心情」を抑えて書こうと考えていました。
心性が浮かび立たない、と指摘されても当然です。一人称にすればどうしても『バレンタインが云々』とせねばならない。だから心理描写を一人称で浮かび立たせるよりは、三人称で俯瞰することにより、心情描写の取捨選択が可能になる。本来バレンタインのことは考えたいが、極力思い浮かべないようにしている倫太郎を書くには俯瞰型の三人称の方が都合よい。その選択としてパスタを淡々と作るさまを書いたと。そうすることで小説のテーマから「心情」を極力省けた。
小説のテーマにずれるものをそれこそ書く必要ありませんから。心情は小説である以上必要かもしれないが、今回においてそれは眼目ではなかったので。

>したがって、「状況」には「これぞ」といった必然性があるべきだと思うのですが・・。
 甲斐自身、必ずしも小説に必然性を内包すべきであるとは思いません。実生活において、常にアクションを起こす際に必然性が伴っているかといえば、否だからで、そういった風景を活写するのも面白い。そう考えます。
長くなりましたが、オッサンさんへの回答がつまりは鵺さんへのコメントにも当てはまるのではないでしょうか^^;

投稿: 甲斐ミサキ | 2004.03.15 01:36

甲斐ミサキさん、お久しぶりです。こんばんは。
相変わらずココログをやっていない私ですが、思うところを少しだけ書き込みしたいと思います。
OSSANNさんのコメント。短編小説の作法としては順当ですがこの一編においては当てはまらないんじゃないかと思いました。
調理風景を活写したこの小説を主人公の一人称で綴ってしまうと、確かに心性はより浮き彫りになるかもしれません。
けれどそれは小説というよりは日記に近いものになってしまうのではないでしょうか。
「神の視点」だからこそ心情を表現でき、さらには「俯瞰する」ことが出来る。
この小説の妙味はその微かな俯瞰に立脚することで生きているのではないか。そんな風に感じました。
短編掌編だからこそ切れ味が求められ、ゆえに作法には私もこだわりがあるほうです。
単一の作法のみで渡るには短編の海は荒く、一人称三人称、一人称のような三人称、三人称のような一人称、
と気がつけば試行錯誤を無駄に繰り返していたり。
難しい短編。まだまだ未熟な私の拙いコメント失礼しました。

投稿: 鵺 | 2004.03.12 21:23

 最初っから辛辣ですいません。
 ちょっと読んでみたのですが、「神の視点」の必然性があるのでしょうか?。
 ほとんどが倫太郎の視点であり記憶であり目前のことであるのだから、「神の視点」と混在させると、倫太郎の「心性」が浮き出てこないように感じるのですが・・・。
 私の書き方としては、短編の場合は状況を収斂して、登場人物の位置づけを会話の中に埋め込んで表していたと思います。
 短編では(書いて書けないことはないが、得意ではない)「切れ味」が要求されるはずです。
 したがって、「状況」には「これぞ」といった必然性があるべきだと思うのですが・・。

投稿: ossann | 2004.03.12 17:37

ミサさん、こんにちわ。
小説の違い、というよりは書きたいものの方向性の違いでしょうね。
12歳だからこそ、書くことの出来るお話もあるのでは。
甲斐はそう思います。
自身、12歳の頃を思い出しながら書くことは出来ても、
12歳の感性で物事を書くのは生まれ変わりでもしなければ無理な話ですから^^;

投稿: 甲斐ミサキ | 2004.02.17 00:38

こんにちは、ミサです。ミサキさんの小説・・・。私とは大違いですね・・・。私はまだ12歳のガキですから、あんなものしか書けません;あと、私のブログのオススメのところに、ミサキさんのこのブログを追加させていただきました。そしてまた、私のどうしようもない小説を投稿いたしましたので、是非みてください。

投稿: ミサ | 2004.02.15 18:16

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